西山英雄(にしやま ひでお、1911~1989)は京都に生まれ、14歳になる少し前から、日本画家で、叔父でもあった西山翠嶂(にしやま すいしょう、1879~1958)の家に住み込んで絵を学び始めました。翠嶂が主宰した画塾・青甲社に属し、京都市立絵画専門学校専科に在学中であった23歳の時に、第15回帝展に《港》(1934年)が特選となるなど、若くから頭角を現しました。
1948(昭和23)年に創造美術(現・創画会)が結成された時には、青甲社からも多くの塾生が参加して、新しい時代にふさわしい日本画の開拓や、古い因習からの脱却と制作の自由を求めた活動が始められました。西山英雄はこの時、創造美術への参加を悩みながらも、翠嶂の甥であることから青甲社に残ることを選び、日本画の未来を切り開く思いは、主に制作を通じて表されることになりました。
1958(昭和33)年の翠嶂没後に、西山英雄は塾生達から青甲社の引継ぎを望まれたものの、自らの意思で青甲社を解散し、日展への所属を続けながら、山などをモティーフとして大胆な色使いと力強い画面構成により、豪壮で迫力に富む作品を描きました。
本展では、西山英雄の代表作を中心にスケッチを含めて37点を展示します。また、秋野不矩は青甲社に学び、西山英雄の力強い作品の数々に大きな影響を受けたことから、作品11点を特別出品します。