佐藤忠良(1912-2011)は宮城県に生まれ、父の病没にともない、7歳の年に母の実家がある北海道夕張町(現・夕張市)に転居しました。札幌第二中学校(現・北海道札幌西高等学校)に進学し、群馬県出身の岩瀬久雄との共同生活のなか、多感な精神形成の時期をおくりました。1934(昭和9)年、東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科に入学。在学中から国画会展に入選し、1939(昭和14)年には、新制作派協会彫刻部創立に参加しましたが、1944(昭和19)年に応召。過酷なシベリア抑留を経験し、1948(昭和23)年に帰国を果たしました。
1952(昭和27)年、<群馬の人>を発表すると、あるがままの日本人の顔がはじめて表現されたと、大きな注目を集めます。以後、市井の男女の頭像や、帽子やジーンズをまとった現代女性像、無邪気なしぐさの少年少女像などで戦後日本の具象彫刻をリードします。1981(昭和56)年には、パリのロダン美術館で個展を開催、国内外で評価を確立しました。
このたび、佐藤忠良の生誕100年と没後1年を期して開催する本展は、宮城県美術館佐藤忠良記念館ならびに佐川美術館が所蔵する彫刻、絵画等の代表作にくわえ、肖像彫刻、トロフィーやメダルなどもまじえ、「リアリズム」というキーワードにより、その創造の軌跡をふりかえろうとするものです。この彫刻家が社会のなかで果たしてきた使命と、作品が多くの人々に愛されてきた理由を、あらためて理解いただけることでしょう。
また、1975(昭和50)年、第1回旭川市民実行委員会による展覧会として「佐藤忠良展」が開催されたのをはじめ、さまざまなかたちで旭川と深いかかわりをはぐくんだ彫刻家でもありました。1989(平成元)年に開催された「佐藤忠良のすべて」展に続く、旭川市民実行委員会による3回目の「佐藤忠良展」を通して、彫刻の街・旭川と、この彫刻家のきずなを、市民の皆さんに知っていただく格好の機会となるでしょう。