武者小路実篤が明治43(1910)年に志賀直哉らとともに創刊した同人雑誌『白樺』は、自然主義文学が主流だった当時の文壇において、自我の肯定、個性の尊重を標榜して、同世代の若者達から強い支持を受け、続く大正時代の文学の新しい流れを作り出しました。
白樺創刊同人の中でも、実篤はその著作でこうした姿勢を最も鮮明に主張し、時代のオピニオンリーダーとなりました。
多くの読者が影響を受けましたが、とりわけ画家の岸田劉生、小説家の長与善郎、詩人の千家元麿は、実篤の著作と出会ったことで、突き動かされるように創作の道へ入っていきました。彼らは、それぞれの道を切り開いて行く中で、時に実篤を精神的なよりどころとしました。
東京で互いに近く暮らしたときには毎日のように会い、実篤が大正7 (1918)年に人間らしく生きられる理想社会の実現を求めて宮崎県に新しき村を創設するなどして遠くはなれたときには、繁く手紙をやり取りしています。
当館は実篤宛の書簡を783通収蔵していますが、このうち、岸田からのものは89通、長与からのものは121通、千家からのものは94通にのぼります。彼らは一様に、遠くはなれて会えないことを淋しいと訴え、会いたいと願い、実篤の夢を見たとまで書いています。
今回の特別展では、この三人の手紙に注目し、実篤との交流の様子や、彼等にとって実篤はどのような存在だったかを読み解きます。