目黒区美術館では、これまで、1990年と1995年の二回、目黒の地で制作を続けた画家・古茂田守介の画業を本格的に回顧して好評を博しました。開館25周年を迎える本年、独自の優れた具象絵画の世界を展開し、孤高の存在とさえ言える古茂田守介の画業を再び取り上げます。
前回、1995年の展覧会に際しては、アトリエ火災により一度は焼失したとされていた古茂田守介の数多くの秀作が、大規模で徹底的な修復作業を通じて蘇りました。本展では、それらの作品にも再びスポットをあて、あわせて絵画修復の意味と成果についても再度世に問います。
また、一度は画業を諦めた妻・美津子が、守介の没後に展開した独自の絵画世界もあわせて紹介。まったく違う個性をもちながら、どこか響きあうふたりの画家の魅力をあらためてご覧いただきます。
1918(大正7年)、愛媛県道後村(現松山市)に生まれた古茂田守介は、東京で画家を志していた兄・公雄の影響で19歳の時に上京、猪熊弦一郎にその才能を認められ、猪熊や脇田和に師事しました。その後、大蔵省に勤務しつつ絵画の研鑽をつんでいた守介は、絵画を通じて知り合った三歳年下の涌井美津子と1944(昭和19)年に結婚。「一家に二人の絵描きはいらない」として美津子は絵の道を断念しました。
1946(昭和21)年、美津子のすすめで守介は大蔵省を退職し画家に専念。やがて1950年代になると、抽象絵画への関心が高まり、多くの画家たちが新しい試みに着手しますが、その中でも守介は人体や静物、風景などに独自の静謐で堅固な具象表現を追い求め続け、新制作協会展や個展を通じて、その独自の油彩作品の世界は高く評価されるようになりました。しかし、30代半ばからの守介は生来の喘息に加え結核にも罹り、健康に不安をかかえアトリエにベッドを持ち込んでの制作を強いられるようになり、1960(昭和35)年、42歳の若さで惜しまれつつ亡くなりました。
妻・美津子は、1921(大正10)年、東京・目黒区生まれ。岡田謙三に師事して、1943(昭和18)年には独立展に初入選を果たしました。結婚生活による長い中断の後、守介の没後に再び絵筆をとり、新制作協会展や個展を舞台にユニークな作品を発表し続け、2007(平成19)年に亡くなりました。
今回の展覧会では、これまで二回の展覧会をもとに、目黒区美術館が所蔵する数多くの古茂田守介作品の中から約60点を選んで展示いたします。数多くの作品による画業全体の紹介に成果をあげた前二回の展覧会を踏まえ、ゆったりとした空間の中で、ひとつひとつの作品のもつ奥深い魅力をじっくりとご覧いただきます。また、素描など制作の秘密を示す小品や資料類をあわせて展示し、ユニークな魅力に富んだ作品を多く残した妻・古茂田美津子の作品とともに、静かな光の中に、目黒区とも縁の深いふたりの画家の姿を浮かび上がらせます。