大正から昭和初期にかけて、工芸の源流を求め、あるいは、工芸の新たなる可能性を求め、工芸家は国境を越えて大陸へと旅立っていきました。朝鮮や中国などにおける日本人工芸家の活動を「日本近代工芸史」の一部分として捉え、その実態と背景について探り、彼らの作品に示された大陸の面影を通じて、日本人工芸家にとってのアジアについて考えてみたいと思います。
日本人工芸家が大陸へと渡っていったのは、言うまでもなく、当時の日本の国策を背景とするものでした。いち早く近代化を成し遂げ、「東洋の盟主」を自負していた日本にとって、西欧列強に支配される近隣アジア諸国を解放することが大きな使命として捉えられていましたが、これに対して、工芸家にとってのアジア進出とは、むしろ憬れの源流、よりどころとすべき規範を求めての旅でした。
東洋人として、東洋の工芸文化を正当に評価するとともに、アジアにおける生活文化の共通言語として工芸を守り伝えること、その正統な後継者という意識がその根底にありました。かつて工芸家の心の内にはアジアへの憧れがあったのであり、「アジアはひとつ」という岡倉天心の言葉は、まさしく、工芸家にとっての命題でもあったに違いありません。
本展では、大正から昭和戦前期に制作されたアジア主義的な傾向を示す工芸作品を通じて、工芸家にとってのアジアについて、また、日本人とアジアとの関係を探り、可能性としてあり得たかもしれないもうひとつの近代について考えます。