「大阪都構想」、「中京都構想」といった大都市制度のあり方が問われる昨今ですが、江戸時代における「三都」とは、「京」、「大坂」、「江戸」のことをいいました。それぞれの都の人口は江戸に100万人、京都40万人、大坂30万人ほどだったといわれます。
幕府が置かれ政治の中心地となった江戸は、武士から商人まで多数の人々が出入りした日本最大の消費都市でした。消費都市としての繁栄とともに、独特の町人趣味や学問、文芸も盛んとなり、江戸の町で生み出された世界に誇る文化の一つに浮世絵があります。
一方、平安京遷都以来「日本の都」だった京都は、江戸時代には政治・経済における中心的地位は弱体化したものの、織物・染物・刺繍・陶器などの工芸、さらに学問・芸術・宗教の首府として、今日においても日本の伝統を発信する代表的都市です。
そして、大坂は「天下の台所」と称されるように、商業・金融の中心、町人の都として全国最大の経済都市でした。豊臣秀吉の大坂城築城とともに堺の商人も集まり、京都とならび上方文化を形成しました。江戸時代、日本海沿岸の港と大坂を結ぶ幹線航路である西廻り航路が開かれたことによって、大坂は物資の集散地となり、財をなした商人・町人らが現われました。大坂ではこうした経済的繁栄の上に、江戸とは異なる町人文化が形成されました。このように三都では、それぞれの歴史、地理を背景にして各地独特の人々の気風、気質が育まれました。本展覧会では広重が描いた三都の風景版画を紹介し、各都市が生んだ文化、風俗に触れていただきたいと思います。