漆は日本、中国、韓国、東南アジアに分布する漆の木からとれる樹液で、一定の湿度と温度があれば乾固(かんこ)するため、天然の塗料として古来より人々の暮らしに用いられた。江戸時代になると、日本の良質な漆と優れた技を背景に、金や銀の粉を用いた漆器の加飾技法である蒔絵(まきえ)が発達し、漆工芸史において確固たる地位を確立した。
しかし、日本民藝館創設者の柳宗悦(やなぎむねよし)(1889-1961)は、高価で限られた人々にのみ用いられる蒔絵よりも、実用を旨とし広く民間で用いられた漆工芸に美しさを見出した。なかでも、朱か黒かあるいは色漆を用いて直に模様を描いた「漆絵(うるしえ)」は「蒔絵に比べて下の品だが、絵の自由さにおいて上をいく」と高く評価し、吉祥文や草花文を活々と描いた椀や盆、酒器などを数多く蒐集している。
特に、南部地方(ほぼ現在の岩手県)を産地とする南部、秀衡(ひでひら)、浄法寺(じょうぼうじ)の椀類は「漆絵」の優品が揃い当館の漆工芸を代表している。秀衡椀という呼名は奥州平泉の藤原秀衡に因み後世つけられたものであり、産地等は詳らかになっていない。いずれも時代は桃山―江戸初期に上り、朱漆と切箔による模様が特徴で豊かな形をもつ名椀と称賛されている。また、現在も生漆の産地として知られる二戸(にのへ)浄法寺で庶民向けに作られたのが、堅牢で自由な絵付けの浄法寺椀である。
「漆絵」には、他にも東北地方で「酒上(ひあげ)」と呼ばれた片口型の酒器や、神前に酒を供えるための瓶子(へいし)、黒地に朱漆で素朴な図柄を描いた盆、松竹梅や鶴亀などの吉祥文様を描き嫁入り道具として用いた蓬莱箱(ほうらいばこ)などがあり、どの模様も工芸的な魅力を呈している。
その他に、神社や寺院で使用されていた調度類に漆で塗られたものがある。日々の食器として、また、法会などの度に使われる什器として、永く使い継げるよう上等な塗りを施し、かつ実用に徹した簡素な形に仕上げられている。これらの漆器には、根来塗(ねごろぬり)と呼ばれるものも含まれる。根来塗の名は和歌山県根来寺に由来し、長年の使用により、上塗の朱漆が擦れ、下塗の黒漆があらわれてできる自然な模様に趣がある。
また、北海道の先住民族であるアイヌは、交易によって得た漆器を宝物として大切に保管したことでも知られている。当館にはアイヌ民族が使用していた浄法寺椀のほか、漆によって彩色された儀礼用の祭器である捧酒箸(イクパスイ)などがある。また、中国の影響を受け独自の技法を発展させた沖縄の琉球漆器には、酒器や食籠(じきろう)、茶盆(ちゃぼん)、長櫃(ながびつ)などがあり、本土の朱とは趣の異なる鮮やかな発色が特徴である。
漆の技法としては、他にも木目を生かした拭漆、鮑(あわび)や夜光貝を用いた螺鈿(らでん)、卵の殻で模様を付けた卵殻貼(らんかくばり)などがあり、素地には挽物(ひきもの)の他、刳物(くりもの)、指物(さしもの)、曲物(まげもの)などによる木材が用いられる。また漆は木材のみでなく、竹や紙、革や金属にも塗布(とふ)することができ、漆の多様な技法と幅広い利用を所蔵品にみることができる。
柳宗悦によって蒐集された当館の漆工芸は、そのほとんどが実用を旨として生れ、暮らしに交わってきたものである。人々の永い営みの中で、形や模様を得た漆器には、柳のいう“普遍の美しさ”が宿るといえよう。「日本の漆」という天然の恵によってもたらされた豊かな工芸の世界をご覧いただきたい。