――身長五尺四寸、大型の方で、要するに健康美人ということになるであろう。
中村研一(1895-1967)が妻について語った言葉です。どこか照れ隠しのように“健康美人というのは、なんとかして美人といいたいが、そういえないときに用いる異名である”と続きます。中村が生涯を通じて最も多く描いたモデルは富子夫人でした。中村が結婚したのはフランス留学から帰国してまもない 1929(昭和4)年のこと。当時の絵手紙《室内図(居室兼茶ノ間兼画室兼書斎図)》には研一・富子の相合傘が書き込まれ、室内には、夫人を描いた絵が何枚も壁にかかっています。最も身近なモデルである妻の“健康美”がいかに画家を魅了し、創作意欲につながったかが感じられます。本展覧会では、伴侶へ向ける愛情が感じられる作品群を、夫婦を取材した当時の記事や写真資料などもあわせて紹介します。2階展示室では中村の料理愛好家としての一面を特集します。晩年の日記に“夕方久々に料理して妻を待つ”とあるように若い頃から台所に立つことを好んでいた中村は、料理エッセイやレシピなども多く執筆しています。仲睦まじい食卓の様子と食材をモチーフにしたユーモラスな素描や陶芸作品をお楽しみください。