川上澄生は太平洋戦争での戦火から逃れるべく、1945年(昭和20)3月に北海道へ疎開します。以来、1949年(昭和24)1月初めに宇都宮に戻るまでの4年弱の間を北海道で過ごしました。
一家は当初、妻・千代の実家がある安平(あびら)村追分に住んでいましたが、その年の6月にはアイヌ文化で知られる白老(しらおい)に移りました。終戦直前の8月から苫小牧中学校(現・苫小牧東高等学校)の嘱託教師となり、英語を教えるかたわら創作活動に励み、全道美術協会の創立会員となった後は生涯にわたり出品を続けました。周囲の環境が変わっても川上澄生の創作意欲は衰えることなく、のどかな牧草地帯や樽前山、そしてアイヌ風俗といった新たな題材を得て、みずみずしい感性による版画や詩を次々と生み出しました。
一方で、北海道においては詩人や作家、編集者との交流が活発になり、北海道内外の出版物の装幀を多数手掛けました。代表的な装幀の仕事として、更科源蔵の詩集『河童暦』や『北海道絵本』、福永武彦の第一詩集『ある青春』などが挙げられます。
本展では、川上澄生の北海道時代にスポットをあて、北海道で新たに得た題材や、北海道における人々との交流によって生み出されたメッセージ性あふれる作品をご紹介いたします。