「私には仏像も描くことができる、仏像からきっといい心持をくみ取る事が出来るにちがいないと思ひ出した」(小川晴暘手記一九二二年六月二三日)
風景画家を目指していた小川晴暘(一八九四~一九六〇)が、仏像を描くために写真家になる決心をしたのは、この年のことでした。かれが目指したのは「写真で仏像を描く」、つまり写真で仏像の美を表現することにありました。写真とは記録であるという認識が主流であった当時、これは大変斬新で革命的なことでした。
絵を描く筆を捨て、絵の具を捨て、職をも捨てて求めた夢。この夢を実現する城となったのが、いまも続く飛鳥園という写真館です。
この夢は、息子の光三(一九二八~)に、飛鳥園で修行した多くの弟子たちへと引き継がれていきました。
切手や写真集、あるいはカレンダーや教科書などで、わたしたちが日ごろ目にする仏像写真の多くは、この飛鳥園が撮影監修したものです。