世界に対する鋭い洞察を親しみやすい表現で作品にするイギリス出身のデイヴィッド・ホックニー(1937-)。世界中で最も人気のある画家のひとりです。油彩画、版画、写真、オペラの舞台デザインなど多岐にわたるジャンルでその才能を発揮し、近年は西洋美術史研究にあらたな着眼点を提示した著作『秘密の知識』や、iPhoneやiPadで描いた作品でも注目を集めています。この展覧会は、和歌山県立近代美術館が誇る版画コレクションなどから、ホックニーの作品すべてを展示し、その魅力を探ろうとするものです。
ホックニーが学生だった頃に制作した初期のエッチングによる代表作『放蕩者の遍歴』から始まり、39点ものエッチングによる大作『6つのグリム童話』を、折り本仕立ての挿画本と別刷り版画、すべて展示します。物語をテーマにし、ユーモアとウィットに富んだ楽しい画面から、ホックニーの線描のすばらしさや、技法に対する鋭い感性を見て取ることができます。また、『ブルー・ギター』で、ホックニーは異なる表現様式や版画の技法を対置させ、美術や版表現そのものに対する探求をテーマにしています。ここで用いられている技法は、ピカソが版画を制作する時の刷師(すりし)だったアルド・クロムランクがピカソのために開発しながらもピカソ自身は使うことなく終わってしまっていたのを、ホックニーがクロムランクから教わったものでした。ふつうのカラー・エッチングでは難しい即興的な表現が実現されています。本展はこれらのエッチングによる3つの連作を通して、版画、とくにエッチングの特徴や面白さに触れることができる機会にもなるでしょう。
そして、<天候シリーズ>などのリトグラフでは、ホックニーらしい陽気な色彩感覚と表現が展開されます。《ポンデン・ホール》はホックニーが1980年代半ばに集中的に取り組んだ写真によるコラージュのひとつです。複数の視点と連続する時間を表現しようとする試みは、キュビスムや未来派、東洋画を意識したものであり、<ムーヴィング・フォーカス>シリーズをはじめ、その後の作品でも彼の大きな関心事となっています。また1970~80年代のリトグラフでは、ケネス・タイラーの工房との大がかりな共同制作も見どころです。可能な限りの技術力と資本を投入した版画制作は、現在ではすでに難しくなった感があります。ホックニーの作品を通して、1960年代以後の現代版画をあらためて位置づけることもできそうです。そして何よりも、ホックニーが版画というものを通して、彼の表現世界をいかに広げ、深めていったか。そのスリリングな足跡を楽しみながらたどってみたいと思います。