■玉虫良次の世界
宝木範義
玉虫良次の脳裏に焼きついている少年時代の視覚の残像。それは昭和30年代の浦和駅前。くびすを接する商店街。子供たちの元気な声が絶えない住宅街。その低い軒先をかすめて往来する路面電車は、カーブにさしかかると甲高く軋んで、周囲の耳をつんざく。
すべてはもう失われてしまった戦後の原像だろう。玉虫少年が青春の糧とした最愛の町は、今はどこにもない”ウ・トポス(O TOPOS)”の浦和なのだ。
それにしても、画家は幸せである。こうして夢のはざまに生きることができるのだから。この町で今度、白いランニングシャツの少年を見かけたら、私も声を掛けてみることにしよう。
今年の日本列島は天変地異があい次ぎ、多くの人命とともに、生活共同体としての町や村、地域文化とその固有の美が失われた。開発という破壊を免れても、災害に襲われる。だから玉虫良次が描くように、絵画としての記憶をこうして持続することが、われわれに与えられた義務なのだろう。