情熱の歌人と評された、与謝野晶子(1878~1942)。
彼女の残した和歌はその生涯において、数万首に及びます。
晶子は、歌集『みだれ髪』や、日露戦争時に戦地に赴く弟を思って作った「君死にたまふことなかれ」などの歌人としての活動の他に、評論家、作家としても活躍しました。
中でも『源氏物語』や『栄華物語』などの古典文学の現代語訳にも意欲的に取り組みました。
与謝野晶子と小林一三(1873~1957)の交流は、明治40年頃に始まりました。
大正9(1920)年1月25日、一三は、晶子からの手紙を受け取りました。
そこには、先年一三宅で上田秋成他筆「源氏物語短冊貼交屏風」を拝見し、大変感動したため、自らも同じように源氏物語五十四帖、それぞれの歌を詠みたいと思うようになった。
ついに完成したため、それを書いた短冊54枚をお送りするので、自分の短冊を同じように屏風にしてほしい、そう書かれていました。
この時点では、晶子はこの歌を発表するつもりはなかったようですが、大正11(1922)年『明星』1月号に発表すると、その後次々に短冊、色紙、巻子等に揮毫し、頒布してきます。
また、昭和13(1938)年に刊行した『新新訳源氏物語』の各巻の先頭にも載せられています。
これらは、与謝野家の苦しい経済事情にも因るのでしょうが、それだけ評判になり、人々の関心が高かったからともいえます。
今回の展示では当館所蔵の、晶子が一三に贈った「源氏物語礼讃歌」短冊54枚、これを詠むきっかけになった、上田秋成筆「源氏物語短冊貼交屏風」を始め、その由来を記した手紙(池田文庫蔵)や、当館が他に所蔵する、「懐紙 宝塚にてよめる」、「和歌短冊十二カ月」、などと共に、各所蔵者様からお借りした貴重な作品を展示することで、新しい視点からの晶子と一三像を構築するとともに、2人の交流の姿を御覧下さい。