スリップウェアとは化粧土(SLIP)を用いて文様を描き、表面にはガレナ釉などを掛け、低火度で焼成する焼物の総称です。日本で一般的に知られているのは、18世紀中頃-19世紀末に実用品として生まれた、縞模様や抽象文、簡素な鳥文などが施された英国陶器でしょう。本国よりも日本で高く評価されてきました。
これら実用品としてのスリップウェアの美を初めて認め、世に広めたのは当館創設者・柳宗悦(やなぎむねよし)(1889-1961)と民藝運動を中心的に支えた陶芸家達でした。1913(大正2)年、柳と富本憲吉(1886-1963)は『QUAINT OLD ENGLISH POTTERY』(C・ロマックス著 1909年)という本に掲載されたスリップウェアを見つけ、その存在を知ります。それは主にトフトウェアと呼ばれる作者名の付いた飾皿でした。その後、1920年代初めにはバーナード・リーチ(1887-1979)と濱田庄司(1894-1978)が、無名陶工の作った美しいスリップウェアの実用品を英国で発見します。その感動の輪は、たちまち柳や河井寛次郎(1890-1966)へも広がっていきました。
柳たちは英国では顧みられることのなかった、この雑器のなかに、「作為を超えた実用品にこそ自然で健康な美しさが多く宿る」という事実を、具体的な形として見届けたのです。それは洋の東西を超えた普遍的な美を実感するものでもありました。工芸の本来在るべき姿をそこに見出し、多くの教えを受けたのです。
無名陶工によるこれらの器に触発された柳たちは、執筆や作陶、日本民藝館の活動などにその成果を反映させ、やがて美の連鎖として各地の民藝運動の担い手や多くの作り手に影響を及ぼしました。初期民藝運動の牽引役の一つを実用品のスリップウェアが担ったのです。
さらに柳たちの視線は他の西洋工芸にも向けられ、蒐集をおこなっていきます。それはスリップウェアの場合と同様に既成の価値観や西洋的な見方からは自由な、柳の言葉を借りれば「日本人の眼」で選択したものでした。
柳と富本憲吉がロマックスの本にふれてからほぼ一世紀の時が経ちます。情報化、グローバル化の波が押し寄せ混迷する現在、柳たちが西洋の工芸品に向けた眼差しは、美に関わる者にとって多くの示唆を含んでいると思います。
本展は当館所蔵のスリップウェアを軸として、英国・スペイン・オランダ・フランスなどの陶器・木工・絵画類に、個人所蔵のものを加えた約150点を公開し、柳たちの見つめた美を追体験するものです。
柳は「挿絵小解」(『工藝』第25号1933年)の中で実用品としてのスリップウェアに言及して、次のように記しました。「こう云うものを見ているとどこ迄も英国のいい性質が分る。だが美しいものは不思議である。一方にどこ迄も普遍的な素質が出ているからである。支那(ママ)のいいもの日本のいいもの等に交えてみて、矛盾がない。登り道は違うが頂きでは皆おち逢っている。地方的にいいものは普遍的にもいい。此神秘が分ればそれでいいのだと思う。吾々は日本に活きようではないか。他の国々と頂上で逢う為に」。
この普遍性を求める柳の精神は、その具現としての当館所蔵品とともに、光彩を放ち続け、今もその輝きを失っていないのです。