土門拳は、昭和14年の暮れ、美術評論家・水沢澄夫氏の案内で初めて室生寺を訪れます。そこで出会ったのが、釈迦如来坐像。「その仏像は、どんな角度どんなアングルから見ても写真になった。ぼくは今まで何十枚かの枚数を写真にしてきたが、これでいいというところがなかった。いくらでも撮れる、それでいいという撮り切った満足感をぼくに与えるところはなかった。弘仁の彫刻を写して、これでいいというところに行きつけなかったところに、数十年にわたるぼくの古寺巡礼の旅があったのである。」(「終わりのない仏像撮影」(『土門拳全集5・女人高野室生寺』昭和59年刊から抜粋)。
約40年の全写真家人生にわたり全国各地100ヵ所以上の寺社を撮影した『古寺巡礼』の原点ともいえる室生寺。昭和50年に第五集で「古寺巡礼」に一区切りをつけ、昭和53年に番外編のような形で『女人高野室生寺』を刊行。その後も古寺巡礼の継続に意欲を持っていましたが、昭和54年に脳血栓で倒れて意識不明となり、結果的には土門の古寺巡礼は室生寺に始まり、室生寺に終わることになりました。
土門拳の愛した室生寺を、戦前に撮影したモノクロから、昭和53年にようやく撮影することができた“雪の室生寺”まで一挙に公開します。
土門拳は、昭和14年の暮れ、美術評論家・水沢澄夫氏の案内で初めて室生寺を訪れます。そこで出会ったのが釈迦如来坐像。
約40年の全写真家人生にわたり全国各地100ヵ所以上の寺社を撮影した『古寺巡礼』の原点ともいえる室生寺。昭和50年に第五集で「古寺巡礼」に一区切りをつけ、昭和53年に番外編のような形で『女人高野室生寺』を刊行。その後も古寺巡礼の継続に意欲を持っていましたが、昭和54年脳血栓で倒れて意識不明となり、結果的には土門の古寺巡礼は室生寺に始まり、室生寺に終わることになりました。
土門拳の愛した室生寺を、戦前に撮影したモノクロから、昭和53年にようやく撮影することができた“雪の室生寺”まで一挙に公開します。