三溪園の観梅会は、明治41年、園の創設者・原三溪が梅林の完成を祝って、知人を招いて行ったことにはじまります。
当時の梅林は、江戸時代以来の梅の名所であった、川崎小向・杉田・蒲田から約2000本を3年がかりで移植したもので、以来多くの来園者を魅了してきました。横たわる竜のような臥竜梅(がりょうばい)の枝ぶりに想を得て、日本画家・下村観山は屏風絵「弱法師(よろぼし・東京国立博物館所蔵、重要文化財)を描いたこともよく知られています。
その後、第二次大タ戦中には梅林は大きな被害を受け、観梅会もいつしか行われなくなりましたが、昭和50年に地元町内会等の協力を得て、「三溪園観梅会」として再スタートし、現在にいたっています。
また、昭和52年には横浜市の友好都市である中国・上海市から贈られた紅梅・緑萼梅(りょくがくばい)82本が加えられ、現在、園内の梅の木は約600本を数えます。