1917年(大正6)10月、22歳の川上澄生は父の勧めでカナダ・ヴィクトリアに渡航しました。それは、母の死、失恋を克服する旅の幕開けとなりました。
ヴィクトリアでは父の知人宅に居候し、詩作や読書にふけっては心の傷を癒そうとしました。翌年3月末には職を求めてアメリカ・シアトルに渡り、看板屋「江南サイン」で数日間世話になりますが、「君は絵描きになった方がいい」と言われ断念。その後、澄生は当時の日本人労働者の多くが従事する鮭罐詰工場の製造人夫としてアラスカに渡り、4月末から8月にかけて季節労働者としての生活を送りました。大自然を目の当たりにし、かつて経験したことのない過酷な労働や、労働者仲間から多くを学ぶことで澄生の心身は鍛えられ、アラスカでの経験は人生の糧となりました。
ひと夏の労働を終えてシアトルに戻った澄生は、父からの手紙ですぐ下の弟の死を知り、残された末の弟のことを想って10月、帰国しました。
澄生は、約1年におよぶカナダ・アラスカでの生活を日記に克明に綴り、そこでのスケッチは、帰国後まもない澄生の画題となりました。特に、アラスカでの記憶は、生涯澄生の脳裏から離れることはなく、アラスカ行きから半世紀後、ついに著作本『アラスカ物語』として、また『履歴書』の挿絵として鮮明によみがえりました。
本展は、川上澄生が若き日を過ごし、その感性に磨きをかけたカナダ・アラスカでの記憶をもとに制作した版画やスケッチ、日記、著作本などを紹介することで、海外渡航時代の澄生の足跡をたどるものです。