平成22年(2010)は、肥後熊本54万石の大名であった細川家の初代幽斎(1534~1610)が没してから400年の節目の年にあたります。春に東京国立博物館で「細川家の至宝」展が開催されたのを始め、京都府舞鶴市や熊本県など幽斎や細川家のゆかりの地でも記念の催しや展覧会が行われますが、今展は没後400年を記念する今年度最後の細川幽斎展となります。
幽斎の活動は室町将軍、13代足利義輝の近臣として仕えることに始まり、義輝が松永久秀らによって殺害されると、その弟を奉じ、義昭として15代将軍位に就けることに成功します。この間には織田信長の助力を得ましたが、信長と義昭の関係が悪化すると信長に従うことを選びます。その信長を明智光秀が本能寺に襲撃、殺害すると、光秀が嫡子忠興の舅であったにもかかわらず、光秀への協力を拒絶し、のちに天下統一を果たす豊臣秀吉に味方しました。変転極まりない時代を幽斎は、確かな選択眼で生き抜いたのです。その一方で幽斎は、連歌から始まって和歌や源氏物語に傾倒し、厖大な古典籍を書写し、註釈を施した当代一の歌人、歌学者、古典学者でもありました。本展では、文武いずれにも勝れた幽斎の生涯を見わたします。戦さに明け暮れた時代にもかかわらず、文雅に努めたその営みを感じとっていただければと思います。