坂本龍馬が活躍し礎を築いた幕末明治。
高知では、絵金(えきん)が土佐独特の芝居絵屏風を大成し、龍馬に海外の知識を伝えた河田小龍(かわだ しょうりょう)が舶来物の絵の具や遠近法、写実的な表現などを作品に取り入れました。
一方で壬生水石(みぶ すいせき)や徳弘董斎(とくひろ とうさい)、橋本小霞(はしもと しょうか)ら伝統的な流れを汲む南画の絵師たちも活躍しています。 小龍は、アメリカから帰国したジョン万次郎の異国での体験を聞き『漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)』を著し、維新の志士たちとも交流するなど、絵師としてだけでなく知識人としても名を馳せました。
他にも龍馬に砲術を、武市半平太に絵を教えた徳弘董斎など、維新の志士たちと関わりの深い絵師たちは数多くいます。荒木寛畝(あらき かんぽ)や春木南溟(はるき なんめい)は土佐藩15代藩主・山内容堂に愛された絵師たちでした。
また、明治初期洋画家として知られる国沢新九郎(くにさわ しんくろう)も高知出身です。イギリスで西洋画を学び、帰国後は多くの後進を育成しました。新九郎の興した彰技堂は本多錦吉郎に引き継がれ、高知出身の楠永直枝(くすなが なおえ)や上村昌訓(うえむら しょうくん)らも学び、のちの高知に油彩画をもたらしています。明治期には洋画家・石川寅治(いしかわ とらじ)、彫刻家・本山白雲(もとやま はくうん)、日本画家・山本昇雲(やまもと しょううん)ら様々なジャンルの高知県出身の作家たちが集い、土陽美術会が結成されました。
幕末明治に活躍した高知ゆかりの作家たちの幅広い画業と交流を、掛軸、屏風、巻子、油彩画、彫塑作品等45作家106作品によりご紹介いたします。