高橋萬年は1897(明治30)年秋田市に生まれました。16歳の時に画家を志して上京し、同じ秋田市出身の寺崎廣業のもとで日本画を学びました。生来病弱だったため、廣業のもとにいたのは短い期間でしたが、その制作の様子を間近に見ることで、萬年は表現することの難しさや喜びを感じとり、写生に徹することの大切さを心に刻んだのです。
萬年は展覧会への出品作を描くために何度か上京と帰郷をくりかえしています。40代以降は郷里に腰をすえ、ふるさと秋田の田園風景や風俗などを描き院展に出品を重ねました。一枚の作品を制作するために一日数十枚も繰り返し写生を続けていたことが萬年の写生帖からわかります。作品にみられるぬくもりのある色調や美しい描線は、そういった日々の修練から生まれてきたものなのでしょう。晩年も写生を中心にした仕事ぶりは変わらず、生涯をとして師の教えをひたすら描き続けた萬年の姿がそこにあります。
この展覧会では廣業