イセザキは、横浜庶民の「ときめき」を一身にあつめた町でした。
慶応2(1866)年の大火後、横浜は関外地区の開発を本格化させます。明治7(1874)年に成立した「伊勢佐木町」の界隈には、芝居・寄席などの興行のほか、射的や玉突きなどのゲーム場、名物・名店が進出して、横浜唯一の盛り場として発展しました。その客層は、横浜の庶民が中心でした。
20世紀になり、映画と百貨店が成長して集客をにないます。他都市からの資本が進出しますが、それは盛り場としての魅力を高めました。戦争による町の破壊と戦後の接収ののち、市民生活になくてはならない憩いのまちとして、イセザキは復興します。
展示では、伊勢佐木界隈140年が演出した、横浜庶民の「ときめき」の諸相を紹介します。