東京タワーのすぐそば、地下鉄大門駅からほど近い港区・芝の増上寺をご存知でしょうか。江戸時代、徳川将軍家の菩提寺だった浄土宗の大きな寺院です。そもそも、大門という駅の名称は増上寺にちなむものであり、この門から西側、戦後に東京タワー、プリンスホテルが建てられた土地も含む、広大な寺域を有していました。
その増上寺の蔵の中に、幕末の絵師・狩野一信(1816-63)が、5人ずつの羅漢を100幅に描いた「五百羅漢図」が眠ってることをご存知の方は、今ではほとんどいないでしょう。
五百羅漢図という形式の作例は、古くは中国・南宋時代(12世紀)の林庭珪・周季常の合作によるもの(大徳寺、ボストン美術館、フリア美術館に分蔵)、輸入された中国絵画にならった南北朝時代(14世紀)の吉山明兆によるもの(東福寺、根津美術館に分蔵)などが知られています。また、十六羅漢図、十八羅漢図、あるいは単体の羅漢図や釈迦とともに描かれたものなど多数が知られていますが、一信はそういった過去の作例を学習しつつ、空前絶後の100幅を構想し、約10年の歳月を制作に費やしました。しかし、残念ながら、96幅まで描き終えたところで一信は病没し、残り4幅は妻・妙安、弟子・一純らが補って完成させ、文久3年、増上寺に奉納されました。
妙安は亡き夫が遺した渾身の作を後世に伝えるべく、寄進を募って増上寺山内にささやかな羅漢堂を建立します。明治、大正時代には、その建物で羅漢図を数幅ずつ公開していたようですが、昭和20年の空襲で羅漢堂は全焼。幸い別の蔵に移されていた「五百羅漢図」はかろうじて戦災を免れましたが、絵も狩野一信の存在も、人々の忘却のかなたに消えていくこととなったのです。
平成23年は、浄土宗の開祖・法然上人の八百年御忌。この増上寺の記念すべき年の春、江戸東京博物館で、羅漢さんたちが、そして一信が甦ります。100幅すべてを画期的な展示で一堂に展示します。
150年の時を経て、この「五百羅漢図」が甦る瞬間に、どうぞ多くの方に立ち会っていただきたいと思います。