二上山は高岡市北方にそびえる標高274mの山です。高岡では親しみをもって「ふたがみさん」と呼ばれ、そのたおやかな姿を見せています。越中国守・大伴家持は、奈良の二上山(にじょうさん)と同じ名前の山が国庁のすぐ近くにあることに感激し、「玉くしげ 二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり」などの歌を詠み『万葉集』に収めました。
二上山の名は、山頂とその西峰の城山(標高258.9m)を二柱の神に見立て、「二神山」と呼んだのが語源であるとされます。古来より神の山として崇められており、養老元年(717)に行基が勅を受けて二上山麓に養老寺(別当寺)を建立し、二上神(射水神社)を二上権現と称して祀ったという伝承をもっています。養老寺は多数の寺社を抱え、強大な力をもっていたが、源平、及び戦国の兵火により堂社が焼失しました。
二上山は、また周辺を一望に見下ろせる「国見の山」として、戦略上も重要な山でした。南北朝の頃、守山城が城山を本丸として、二上山全域に築城され、現在「越中三大山城」の一つに数えられています。主な城主は桃井直常、斯波義将、神保氏張、前田利長へと変遷しました。麓には城下町が造成され、越中の政治・経済の中心となりましたが、慶長4年(1599)、利長の城代・前田長種が富山へと移ると、しばらくして守山城は廃城になったとされます。
また、麓には二上射水神社、気多神社、国泰寺や、越中国庁跡(勝興寺)・国分寺跡など多数の寺社や史跡が現存しており、豊かな歴史・文化を今に伝えています。
本展では二上山に関わる、古文書や絵図を中心に展示し、高岡市民の心のふるさと二上山のすがたを紹介します。