石井鼎湖(ていこ)(1848~97)は近代美術の黎明期を生きた明治の画家です。千葉ゆかりの文人画家・鈴木鵞湖(がっこ)の次男として、洋画家の石井柏亭、彫刻家の鶴三兄弟の父として知られ、近年、石版画への関心が高まるなか、あらためて注目されています。
嘉永元年に江戸佐久間町(現在の千代田区神田佐久間町)に生まれた鼎湖は、幼少より鵞湖に絵の手ほどきを受け、12歳で陶工の三浦乾也の養子となり、後に養母方の石井家を継ぎました。
明治3年(1870)、23歳で大蔵省に出仕し、後に民間の石版印刷の中心となる二代目玄々堂・松田緑山と出会います。7年(1874)に緑山と成功させた《石画試験》は年記のある最も早い石版画として、石版画流行の幕開けを飾る記念碑的存在です。さらに大蔵省印刷局でアメリカ人技師ポラードから学んだ先進の技術により、10年(1877)に日本初の本格的な多色刷石版《玉堂富貴》を生み出し、石版画史に大きな足跡を残しました。
鼎湖は官吏生活のかたわら、洋画を川上冬崖や中丸精十郎らに学び、印刷局の同僚と結成した精研会では水彩画を発表します。明治21年(1888)日本美術協会の委員となると、30年(1897)に50歳で没するまで、歴史画や山水、花鳥画などの日本画を出品し、受賞を重ねました。同時に、浅井忠や小山正太郎らと日本最初の洋画団体、明治美術会の創設にも参加しました。
本展は、従来取り上げられてきた石版画のみならず、ほとんど知られていない日本画にも焦点を当て、鼎湖の画業全体を紹介する初めての展覧会です。多岐にわたり活躍した彼の業績をたどることは、歴史に埋もれた明治美術を考える上で意義深い機会となるでしょう。