日本のアニメーション映画史の中でも、大藤信郎ほど「孤高」の語が似合う作家はいないでしょう。1900年、東京・浅草に生まれた大藤は、国産動画の創始者のひとり幸内純一の助手を経て、江戸千代紙を素材に用いた“千代紙映画”を考案、1927年には「千代紙映画社」を旗揚げしました。当時“漫画映画”と呼ばれたこの分野で短篇を次々と発表して注目された大藤は、戦後さらに独自の表現を求めて色彩セロファンを用いた影絵映画の製作に着手、『くじら』(1952年)や『幽霊船』(1956年)はカンヌやヴェネチアなどの国際映画祭でも激賞されます。さらなる活躍が期待されていましたが、『ガリバー旅行記』と『竹取物語』という二つの長篇に取り組んでいた1961年、61歳で世を去りました。
大藤は、生涯にわたって、自宅のスタジオで姉の八重氏とのコンビで作品を創造してきました。この「アニメーションの先駆者 大藤信郎」は、1970年のフィルムセンター開館に伴って八重氏から寄贈された資料を一般公開する初の機会となりますが、作品資料だけではなく、独特の技法を支えた機材や道具、切り紙によるグラフィック作品、海外との書簡、このたび復元された作業中の映像などを通して、よりアクティブな作家像が見えてくるでしょう。現在も、その名は毎日映画コンクール・アニメーション部門の「大藤信郎賞」として残されています。
また、この展覧会では、未完成作品『竹取物語』のセル画の一部を、世界的アニメーション作家・山村浩二氏(『頭山』『カフカ 田舎医者』)の監修により動画化した映像を特別に公開します。現代アニメーションの偉才とのコラボレーションにより、大藤のなし得なかった最後の仕事が半世紀の時を超えて甦ります。どうぞご期待ください。