橋本平八と北園克衛(本名:橋本健吉)は、現在の三重県伊勢市出身の芸術家兄弟です。
橋本平八は1897(明治30)年に生まれ、1919(大正8)年に上京して佐藤朝山に入門、1922(大正11)年の第9回日本美術院展で《猫》が入選して、彫刻家として本格的な活動を開始しました。以後日本美術院展に木彫を出品、1926(大正15)年には郷里に戻り制作活動を行いました。橋本平八は、大正後期に奈良の古仏を研究し、また1931(昭和6)年には円空仏から啓示を受けるなど伝統的な造形を意識するとともに、東西の宗教や哲学、芸術思想も研究して自己の彫刻思想を確立し、《石に就て》や《花園に遊ぶ天女》などの代表作を残しましたが、1935(昭和10)年に39歳で早逝します。
一方、北園克衛は、橋本平八の弟として1902(明治35)年に生まれました。新聞記者を志して上京した北園は、1923(大正12)年、『文章倶楽部』に詩を発表、また未来派、立体派、表現派、ダダの影響を受け、『GE・GJMGJGAM・PRRR・GJMGEM』を創刊するなど前衛詩の分野で活動を開始します。1928(昭和3)年には「日本におけるシュルレアリズムの宣言」を上田敏雄らと発表、1935(昭和10)年にはVOU倶楽部を結成して機関誌『VOU』を発行しました。北園は写真によるプラスティック・ポエム(造形詩)の制作、書籍装幀なども行い、1978(昭和53)年に亡くなるまで詩作と造形双方に及ぶ活動を展開しました。
伝統的造形世界を常に意識していた兄橋本平八と、前衛詩人として活動を続けた弟北園克衛は一見対照的な存在です。しかし、北園が「私に芸術を吹きこんだのはこの兄であった」(1973年)と書き記したことからもわかるように、二人の芸術は互いの交流を通じて形成されたと考えられます。
橋本平八については、未紹介の手記や書簡、絵画作品等が近年確認され、北園克衛については、在米の北園研究家ジョン・ソルト氏が長年にわたって収集した資料の調査が行われて、今回初めて公開されることになりました。
本展では、こうした近年の調査研究成果を活かして橋本平八と北園克衛の全体像を紹介するとともに、兄弟の様々な交流が各人の芸術世界形成にどのように作用したかを検証します。