柔らかな曲線と植物などの自然をモチーフにした装飾様式が特徴のアール・ヌーヴォーは、1900年に開催されたパリ万国博覧会をピークに一世を風靡しました。
当時のフランスの大女優サラ・ベルナールのポスター《ジスモンダ》を手がけて一躍アール・ヌーヴォーの旗手となったチェコ出身の画家アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)は本年2010年生誕150年を迎えます。
ミュシャは現在のチェコ共和国東部モラヴィア地方の小さな町に生まれ、ウィーン、ミュンヘンを経て1888年パリに出ます。アカデミー・ジュリアンなどで学んだのち雑誌の挿絵で生計を立てていましたが、1894年暮れに初めて芝居のポスター《ジスモンダ》を手がけました。このポスターが1895年1月パリの街頭に貼られるとミュシャは一夜にして有名ポスター画家となり、以後「ミュシャ様式」と呼ばれる流れるような髪の毛や花々で飾られた女性像を中心に、芝居、タバコ、酒、自転車など多くのポスターや装飾パネル、ビスケットのパッケージ、挿絵本、装飾品などを制作していきます。
1904年以降パリ滞在や帰郷をはさみながら暮らしたアメリカでは、肖像画や劇場の壁画制作など伝統的な絵画表現を活動の中心にすえていましたが、パリ時代に培ったポスター等のデザイン的な作品も多く残されています。また、このアメリカ滞在中にボストン交響楽団の演奏するスメタナの『わが祖国』を聴き、芸術を通して故国のために余生を捧げる決心をしたといわれています。
1910年50歳でプラハに戻り、スラヴ民族の歴史の連作《スラヴ叙事詩》の制作をすすめる一方、民族的主題のポスター、プラハ城にある聖ヴィート大聖堂のステンドグラスのデザイン、第一次世界大戦後に独立したチェコスロヴァキアの紙幣なども手がけ、ミュシャは79年の生涯を終えました。
本展では、日本で最も多くのミュシャ作品を所蔵する大阪府堺市の所蔵品をはじめとして、チェコおよびフランスの美術館の協力を得て、パリ時代、アメリカ時代をはさみ故国チェコに戻った晩年までの生涯を約150点により紹介します。ベル・エポック(良き時代)に思いをはせて、その人生をたどってみてはいかがでしょうか。