江戸時代の最後期、19世紀の江戸の町に登場して、奇抜なアイディアとユーモアで人々を心の底から喜ばせた浮世絵師、歌川国芳(くによし)(1797年~1861年)。本展覧会では、前期展示・後期展示をあわせ、およそ230点の作品によって、その魅力的な世界を展望します。
15歳の頃に初代歌川豊国(とよくに)の弟子として出発した国芳(くによし)でしたが、頭角を現したのは30歳代に入った頃でした。『水滸伝』の登場人物を画面からあふれんばかりのダイナミックな構図で描いたシリーズが好評を博し、人気絵師の仲間入りを果たしています。その後、対象を的確に、かつ骨太に描き出す魅力的な描写力や、画面を緻密に美しく構成する力を、どんどん発揮していきます。しかし、国芳(くによし)の途方もないもう一つの才能を引き出したものは、実は、一見そんな浮世絵師としての輝かしい道を阻むかのように現れた、幕府の「天保の改革」でした。
老中(ろうじゅう)水野忠邦が中心となって進められたこの改革は、財政の立て直しや世情の安定化を図ることが目的でした。質素倹約、綱紀粛正が強く打ち出され、歌舞伎をはじめ、さまざまな娯楽に弾圧が加えられました。遊女の絵や役者の似顔絵が禁止されたことは、長く楽しまれてきた浮世絵の根幹を奪い取られてしまったようなものだと言えるでしょう。
ところが国芳(くによし)は、規制に触れないテーマを次々と考え、弾圧の時代を生き抜く、いわば新商品を生み出していったのです。古代中世の歴史や物語に登場する人物や怪物の絵、可愛らしい子どもたちの絵、笑いを誘うおかしな絵。それらの絵には斬新な着想と人を喜ばせる精神が惜しみなく注がれています。やがて弾圧の力は弱まっていきましたが、国芳(くによし)の創造力は、もはやとどまるところを知りませんでした。ときには、解剖学的にも正確な人体の骨格や、あるいは科学図鑑を見るかのような精密な魚の描写を巨大化させ、怪物や妖怪に仕立てるといった、驚くべき作品なども描いています。江戸後期は、科学的な知識やものの見方、迫真的に描くということが、新鮮な驚きをもって人々に迎えられた時代でもありました。国芳(くによし)は、ただ浮世絵の伝統にとどまらず、さまざまなものから受けた刺激を、超越的な想像力と描写力によって、それまで誰も見たことのない個性的造形世界へと進めていったのです。
昨年・・・