矢崎山遺跡は、現在の横浜市都筑区荏田南町にあった集落=ムラの遺跡で、1976-1979年にかけて行われた発掘調査により100軒もの住居跡が見つかりました。古墳時代中期にあたる5世紀の後半ごろに開かれ、6世紀中頃にかけて展開したこのムラの人々は、当初からほとんどすべての住居にカマドを備え、鉄製の農具や武具を製作する鍛冶技術を有し、高級陶器である初期須恵器をたずさえ、子持勾玉・石製模造品など当時盛行していたマツリの道具を用いていました。
矢崎山ムラの人々がもっていたカマドや須恵器は、朝鮮半島からの渡来人を介して西日本に伝わったばかりの新しい生活文化・技術で同時期の関東地方ではまだ珍しいものでした。カマドの導入は“古墳時代の台所革命”と呼ばれ、人々の暮らしを大きく変えました。
矢崎山ムラに見られるような新しい生活文化・技術は、外交を主導する倭国王や有力首長たちとの交流を通じて各地域にもたらされたものとみられます。展覧会では、このような注目すべき要素をそなえた矢崎山ムラの暮らしの実相に迫るとともに、5世紀後半の関東地方において開発を主導し古墳を築いた首長たちの動向について探ります。