織田信長は全国統一を目指し、毛利氏との戦いに向け、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)を播磨に派遣しました。三木城の別所氏をはじめ播磨の武将の多くは毛利方となり、秀吉軍との戦いが播磨各地で繰り広げられました。これが世にいう「三木合戦」です。神戸市域にも淡河(おうご)城や端谷(はしたに)城、丹生山明要寺(たんじょうさんみょうようじ)などこの戦いに関わる城跡や寺院が数多く存在します。
一方、秀吉は淡河城の落城後、直ちに淡河町中に制札を下し、もとの宿場町として機能するよう、その復興に尽力しました。その後、天下人になった秀吉は荒廃していた有馬温泉の復興にも努め、たびたび湯治に訪れ、自身の御殿も建設しました。この御殿の湯殿や庭園跡が伝承どおり、阪神・淡路大震災で全壊した極楽寺の庫裏下で見つかっています。
本展では、「織田信長像」(重要文化財)、「豊臣秀吉像」をはじめ、別所氏ゆかりの「南蛮人桜花文蒔絵鞍」や淡河に下された「羽柴秀吉制札」「湯山遺跡出土陶磁器」などを展示し、神戸と秀吉との関わりについて紹介します。
※「織田信長像」(重要文化財、当館蔵)は6月19日(土)~7月11日(日)まで展示するほか、会期中一部展示替えがあります。