武者小路実篤は、明治43年(1910年)4月、志賀直哉らと同人雑誌『白樺』を創刊し、今年は創刊から100年に当たります。これを機会に、白樺同人と夏目漱石との関係を取り上げます。
『白樺』は、自我を肯定的にとらえ、個性を尊重し、生長と理想を信じる姿勢によって、それまでの文学に飽き足らなかった同世代の若者達から強い支持を受け、大正時代へと展開する新しい文学の流れを作り出しました。
白樺同人は文壇に先輩をもたないことを公言していましたが、その中で唯一、共通して敬意を寄せたのが夏目漱石でした。彼らは学習院高等科の学生時代から文学への関心が強く、西洋文学・日本文学を問わず膨大な作品を読んでいますが、その中から夏目漱石の作品に強く惹かれました。また、志賀直哉、木下利玄は、東京帝国大学で漱石の講義を受け、講義ノートや手帳にその記録が残っており、多くの示唆を受けたことが分かります。
これに対して夏目漱石は、『白樺』が創刊当初、文壇から十分な評価を得ることはできない中で、いち早く彼らの独自性・同時代性に気づき、主宰していた朝日新聞の文芸欄で、実篤、志賀直哉、里見弴へ早々に原稿を依頼しています。
江戸の末年に生まれ、維新後の激変する時代の中で育ち、新旧の価値観の間で苦しんだ漱石と、明治中期に育ち、新しいものを抵抗なく受け止める白樺同人の間には、明らかな世代の違いがあり、共感と理解と同時に、互いにまったくすれ違っている部分もあります。
こうした違いを持ちつつも、本質的なところで白樺同人を理解し評価した漱石と、先輩として尊敬しつつ文学者としては対等に立とうとした白樺同人の、直接・間接の交流と、共通点と相違点を、評論や回想などの作品と、書簡や証言などの記録から探ることを試みます。