このたび、井原市立田中美術館、小平市平櫛田中彫刻美術館では、2館共同企画として、岡倉天心の主唱により結成された「日本彫刻会」を取り上げる初めての特別展『岡倉天心と日本彫刻会』を開催いたします。
1907(明治40)年は日本で最初の文部省主催の美術展覧会(文展)が開催されるなど、日本近代美術史上において、忘れることのできない大変重要な年でした。まさに同じ年、日本近代彫刻史のうえで注目すべき出来事がありました。日本で最初の本格的な彫刻団体、「日本彫刻会」の結成がそれです。
同会は、岡倉天心を会頭として、高村光雲の高弟・米原雲海と山崎朝雲をはじめ、平櫛田中、加藤景雲、森鳳聲、滝澤天友ら6名によって結成され、第1回展を1908(明治41)年に開催、1915(大正4)年に解散するまで7回の展覧会を開催し、1910年代における彫刻界の一つの潮流を生み出しました。
主唱者の岡倉天心が大正2年に逝去し、その指導は実質5年間と短期間に終わりましたが、有力会員であった平櫛田中は天心の薫陶を受け、その作品に新生面を開き、禅をテーマにした力作を毎回発表しました。
会の主軸であった山崎朝雲、米原雲海もそれまでの作風に大きな変化が表れ、今日、彼らの代表作と言われる作品が生み出される機縁となりました。
同会からは再興日本美術院の吉田白嶺、川上邦世や、東京藝術大学の教授をつとめた関野聖雲、帝展で活躍した内藤伸、長谷川栄作、三木宗策など、のちの木彫界を担う彫刻家たちを数多く輩出しています。
天心の日本画育成に対する功績はよく知られていますが、その反面、彫刻界に対するそれはこれまでほとんど知られていませんでした。また、日本彫刻会の活動自体も一部の研究者によって注目されることはありましたが、会員の消息が判らなくなっていたことや、彼らの作品の多くが散逸してしまっていたため、日本彫刻会の活動全体を捉えた研究が行われることはありませんでした。
本展では、これまで取り上げる機会の少なかった日本彫刻会の出品作家25人の名作62点を紹介することで、岡倉天心の彫刻振興策を検証します。あわせて、田中が数々の名作を生みだすまでの軌跡、生涯にわたって敬意を抱いた天心からの影響を考察します。