浦田正夫(1910-1997)は熊本県に生まれ、東京美術学校(現東京芸術大学)で日本画を学びました。美術学校卒業の昭和9(1934年)、杉山寧、山本丘人らと「瑠爽画社」を結成し、昭和13年まで共に研鑽を積みました。その後昭和16年には高山辰雄らと結成した「一采社」は、昭和36年に解散するまで20回の展覧会を開催しました。このふたつの研究グループでは、互いの作品を論評しながら芸術論、日本画論をたたかわせたり、しばしば連れ立って写生旅行に出かけたりしました。浦田正夫は昭和12年の日記に「勉強の方法 先ず寫生、自然の探求、之から初まる出来る丈まめに寫生せよ 九分九厘、之につきる」と記しています。戦後は日展の中心作家として活躍をした浦田ですが、終生、自然と向き合い写生を重ねることを制作の基本とすることに変わりありませんでした。
浦田は、こうして描いた写生、制作記録などを丁寧に整理し保管していましたが、平成9年、日展出品作品13点と共に、写生画、下絵や制作記録など約300点が一括して作者から茨城県近代美術館に寄贈されました。
本展覧会では、日展の出品作品などの日本画18点と、本画制作にいたるまでに描いた数々のデッサン、下絵、制作記録とをあわせて展示し、作品完成に至るまでの構図や色彩についての研究のあとをたどるとともに、本画からはうかがい知ることの出来ない、その時々の作家の思いをご覧頂きます。