4世紀の河内平野は、百舌鳥・古市古墳群成立前史として興味深い時代です。はたして河内平野は、どのような歩みのなかで巨大古墳の時代を迎えるのでしょうか。
河内平野は、古墳時代に向かう西日本社会の連携に重要な役割をはたしてきた地域です。ところが、古墳時代のはじまる頃の大和に大型前方後円墳が築かれる時期には、河内には大型前方後円墳は築かれなかったのです。こうしたことの背景には、当時の各地域の社会状況が大きく関係しているものと考えられます。
このたびの企画展では、河内平野の集落の成り立ちとその変化、古墳や出土品、集落と墳墓の関係などを通して、当時の社会のあり方、地域による相違、その後の歩みについて探ります。こうした検討を通じて、河内平野の人々がどのような社会のまとまりを築いていたのか、百舌鳥・古市古墳群の出現に至る河内の歴史を考えてみたいと思います。