洋画家石井光楓(1892-1975)は現在のいすみ市岩船にあった網元の次男に生まれ、はじめは日本画を学びましたが、洋画家を志して大正4年(1915)には第2回院展、同10年(1921)に第3回帝展に入選と活躍をはじめます。しかし光楓は国内で洋画を学ぶことに限界を覚えたのでしょう、大正10年に渡米しシカゴのアート・インスティチュート、さらに同14年にはフランス・パリのアカデミー・ジュリアンに入り、本場での本当の洋画を学ぶのです。現在とは交通手段もまったく違う当時の留学がどんなに大変であったか察するに余りありますが、光楓の洋画に対する志の高さが、強い意志をもった実行力につながったものでしょう。光楓の若々しく純粋な思いは、この時代の作品に最もよく表れています。当時のパリには洋画家として知られる藤田嗣治(1886-1968)もいて交流があり、そこに集う画家たちには独特の若い熱気がありました。やがて光楓はパリの画壇でも注目され、数々のサロンに入選するようになります。
ご遺族のご好意によりこのたび千葉市に寄贈された光楓作品の中から、滞欧米時代の作品を中心に展観し、その画業を振り返ります。