古くから海運の寄港地として知られていた肥前(長崎県)・平戸は、海を隔てた外国と日本で最初に出会う地でした。
平安時代からアジアの船が寄港していた記録が見られ、朝鮮や中国との活発な交流が行われた国際性に、その特徴があります。
戦国時代末期(16世紀後半)、平戸・松浦氏がポルトガルと通交する契機を得たのは、先に有力な中国の海商と結んでいたためだと考えられています。貿易により培われた経済力や武力を背景に、松浦氏は着実にその地盤を固めていきました。やがてイギリス・オランダが商館を設立した江戸時代初頭、内外の商人が往来し、異国の文物が取引される平戸の隆盛は、「西の都」とも称される華やかなものとなりました。
東洋に設置された各地の商館のうち最高の利潤をあげていた平戸オランダ商館でしたが、寛永17年(1640)に幕府より破壊を命じられます。翌年、鎖国政策の一環として、オランダ商館は長崎出島に移転されることになります。
平戸とオランダの密な関係は、わずか30年余りで幕を引いた短いものでしたが、キリスト教をめぐる幕府の施策と、貿易のもたらした繁栄に彩られ、平戸の歴史に複雑な輝きをもたらしました。その残照は、今も平戸藩主・松浦家の宝物に映しだされています。
本年は、平戸にオランダ商館が築かれた慶長14年(1609)より400年目にあたります。これを記念して、長崎県平戸市・松浦史料博物館の所蔵する宝物を中心に、「ジャガタラ文」など平戸をめぐる日蘭関係史料をはじめ、鎮信流茶道を創始した松浦家29代・松浦鎮信(1622~1703)ゆかりの茶道具ほか、34代・静山(1760~1841)の蒐集した蘭書など、平戸・松浦家の文化と歴史の転変に焦点を当てます。