脇坂秀樹は、1930(昭和5)年に西国東郡大田村に生まれ、1954年大分大学学芸学部美術科を卒業後、県内の中・高等学校で教鞭をとる一方、本格的に油彩画の制作に取り組み、光風会展、後、東光会展を中心に活躍を続け、1959年の第25回東光会展に《灼土の丘》を出品し、入賞。翌年には、《家族》を出品し、東光会会友となり、1964年には、東光会会員に推挙されました。また、この間、1962年の第5回安井賞展に、《剥落する偶像》が選抜出品されました。
また、2001(平成13)年から2004年まで、第7代大分県美術協会会長を務め、現在は大分県美術協会名誉会員として、大分県美術の振興に尽力しています。
本展では、初期の「人物」、中期の「街」、近年の「風景」などのシリーズの代表作及び関連資料により、洋画家脇坂秀樹の活動の全容を紹介します。