湯浅一郎(1868-1931)は、明治元年、群馬県西部の中山道の宿場町として栄えた安中(現安中市)に生まれました。洋画に新風を吹き込んだ黒田清輝からフランスの外光表現を学び、白馬会で活躍した後、ヨーロッパに渡ります。ベラスケスの模写に取り組んだマドリード、アカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエールに通ったパリにて充実した4年間を過ごした後に帰国、その後も在野団体の二科会創立に関わるなど、明治から大正、昭和へと続く日本近代洋画の歴史とともに画業を歩みました。
今年、湯浅一郎の生誕140年を迎えて開催される本展では、群馬県立近代美術館が1974年の開館時に遺族より寄贈を受けた油彩の代表作に加え、多数の寄託作品のうち滞欧時代の水彩や素描、資料に光を当て展示します。また、湯浅や黒田清輝、山本芳翠らとも親交を持ちながら本格的な洋額縁を作った職人、磯谷商店の長尾建吉(1860-1938)を紹介し、別の角度から近代洋画の歴史に触れます。
ところで湯浅一郎がパリで住んだカンパーニュ・プルミエール通りは、20世紀初め、多くの芸術家たちが集うモンパルナス界隈の中心地でした。奇遇ながら、当館が作品・資料を収蔵する彫刻家フランソワ・ポンポン(1855-1933)も、この通りにアトリエを構えた一人です。
1855年、フランス中部ブルゴーニュ地方のソーリューに生まれたポンポンは、彫刻家をめざして20歳でパリに出ます。ロダンをはじめとする様々な彫刻家のもとで下彫り職人として働き、情感溢れる人間像の制作に携わる一方で、動物園での動物観察にもとづく制作へと自身の関心を注ぎ、オリエントやエジプトの浮彫彫刻、日本の工芸に影響を受けながら、次第に、細部と無駄を削ぎ落とし、形態の本質を追究した革新的な動物彫刻を生み出すに至りました。流麗なシルエットを特質とするその造形は、アール・デコの美学を映し出し、とりわけ1920年代に入ってから高く評価されました。
本展では、当館が所蔵する作品・資料の中から、ブロンズに加え、これまで紹介する機会のほとんどなかった石膏、さらに写真や手紙、絵はがき、ポンポンが収集した新聞や雑誌の切り抜きなどのドキュメント類を併せて展示し、ポンポンの彫刻作品が生まれるプロセスにも迫ります。
このほかテーマを設けて展示替えを行いながら、当館のコレクションを紹介していきます。