太平洋戦争が激しさを増す昭和16~18(1941~1943)年、いつ召集令状が来るかわからない不安な日々の中で、土門は憑かれたように文楽の撮影に打ち込みます。当時国民生活が次第に窮乏してゆく状況下にありながら、文楽芸術派浄瑠璃に豊竹古靫太夫、三味線の鶴沢清六、人形遣いの吉田文五郎、吉田栄三、桐竹紋十郎といった国宝級の三役がそろい、まさに黄金期を迎えていたのです。
戦局がきびしくなった昭和19年暮、土門は撮影した6000点あまりのガラス乾板を、自宅床下に掘った防空壕に埋めて戦火から守ります。そのときすでに、被写体であった貴重な人形や衣装は戦火で消失していました。空襲から守り抜いた至芸の記録は、撮影後約30年を経た昭和47(1972)年、写真集『文楽』として刊行され、はじめて世に出ました。また、今回6点のカラーさくひんを 展示いたしますが、このたいへん不思議な渋い色再現をしているカラー写真は、実はカラーフィルムを使って撮影したものではありません。まだにほんにカラ^-フィルム画なかったこの時代、土門は、被写体にそれぞれ赤・緑・青のフィルターをかけて写した白黒ネガを合成し製版するという独自の方法でカラー写真に挑戦しました。大変面倒で時間のかかる撮影だったため、わずか数点しかありませんが、とても貴重な資料となっています。