諸芸術においてモダニズムの波が押し寄せた20世紀においては、詩人も、意味内容に専心するのではなく、構造分析を果敢に行うようになった。そのなかからは言葉の視覚的、音声的な側面を重視した作品に取り組む詩人たちも現れた。新国誠一(1925~77年)は日本におけるその典型であったが、没後ほぼ忘却の彼方に追いやられた。1950年代から郷里仙台で詩の前衛的実験を押し進めた新国は、視覚聴覚の両面において言語を要素化して扱う詩に到達する。漢字をグラフィカルに散在させた「視る詩」と平仮名、片仮名、数字による「聴く詩」を制作、上京して詩集『0音』として結実させるのだ。東京では文字の諸要素を“星座”のように配置する国際運動、コンクリート・ポエトリー(具体詩)に出会う。ほどなく《雨》など漢字をグリッド状に反復する固有の方法を生み出し、内外から注目を浴びるようになった。在京時を通じて日本のコンクリート・ポエトリーの第一人者として海外の詩人たちと連携し、数多くの作品を自ら組織した『芸術研究協会(ASA)』の機関誌上や世界各地の展覧会で発表した。「唇」や「血」など身体や生死にまつわる漢字を好んで使用したが、これは新国のもうひとつの顔である。現代音楽にも学び、グローバルな運動に関わる以前から録音による音声詩に取り組んだ創造性は驚愕に値する。本展は、コンクリート・ポエトリーの日本語版にとどまらず、他国の文化風土では成立するはずのないユニークな世界を切り拓いた詩人、新国誠一の活動を、現存資料の調査を元に改めて見つめ直そうとするものだが、それは美術や音楽と詩の相互的な関係を再考する貴重な機会ともなるはずである。