慶応年間、加賀大聖寺藩主前田利鬯(1841~1920)は、大聖寺藩窯「九谷本窯」の指導者として、京焼の名工永樂和全(1823~1896)を招聘した。和全は九谷に金襴手をはじめ、さまざまな陶技を持ち込み、九谷焼を豊かにした功労者である。
だが、和全招聘に尽力した加賀の人々(西野小左衛門、東方芝山ら)、5年間の滞在期間(慶応元~明治3)に和全と親交のあった加賀の人々(原呉山、石倉五州ら)、和全の陶技をしっかり受け継いだ加賀の人々(木崎萬亀、初代滝口加全ら)がそこにいた。彼らの存在も忘れてはならない。
和全は明治3年に帰京するが、その後も晩年に至るまで加賀の人々との交流は続いた。加賀に残る和全の作品、和全に関わる加賀の人々の作品や資料を一堂に展観し、今も「永樂」として伝統的九谷様式のひとつにその名を残す永樂和全の業績を顕彰する。