片岡球子は1905(明治38)年北海道札幌市の裕福な商家に生まれました。地元札幌の高等女学校師範科に在学中に画家になることを決意し、卒業後単身上京して女史美術専門学校(現女史美術大学)を卒業しました。その後は小学校教員を続けながら画家修業となりますが、初入選語は展覧会に落選を重ね、苦しい状況が続きました。ゲテモノとまで言われながらも自分のスタイルを崩すことはなかった片岡がようやく院展本展に入選して会友に推されたのは7年目、院展同人となったのは実に22年目のことでした。
人物描写に関心を寄せる片岡は医師、僧侶、行者など独特の個性を持った人間を描きましたが、歌舞伎役者の描写を経て、終生の画題となった「面構」のシリーズに至ります。
「面構」は歴史上の大人物を現代に蘇らせるという試みでしたが、中でも浮世絵師を描く作品は、同じ画家として彼らの生き様と画業に対するオマージュともいえるものでした。
また同時期に開催された火山の連作は富士への連作へとつながり、抽象、具象の境界を超えた大地のエネルギー表現として、片岡芸術の一方の集大成となる連作となりました。
今回は院展出品作の「面構」シリーズを中心に、富士を描いた連作を配し、他の作品とともに片岡芸術の広がりをお楽しみいただきます。