鏑木清方は、明治11年(1878)に誕生して、今年で生誕130年を迎えます。
清方は、初め挿絵画家として出発しました。やがて、『新小説』など当時の一流文芸誌の口絵や表紙絵を描きます。けれども、小説などの枠に制約される挿絵に物足りなさを感じ、自由に画題を選べる日本画に関心を抱きました。
明治40年に文展が開催されることになると「曲亭馬琴」を制作しましたが、落選しています。しかし、第四回文展では「女歌舞伎」(明治43年)が三等賞首席を受賞し、話題となりました。
大正期には、美術団体「金鈴社」を結成し、将来画壇を担う新進画家として注目を集めます。今回展示する「絵双紙屋の店」(大正8年 第四回金鈴社展・弥生美術館蔵)は、清方の好んだ明治風俗を叙情豊かに描いたものです。その後、官展の審査員を務めるなど活躍します。
関東大震災を機に、慣れ親しんでいた明治の面影を残す街並みや風俗は、急速に変化してゆきます。清方は、少年の頃に過ごした東京下町の様子を後世に伝えようと、「鰯」(昭和12年頃・東京国立近代美術館蔵)、や「朝夕安居」(昭和23年)などに写し留めます。
戦禍で東京の自宅を失い、疎開先の御殿場から鎌倉の材木座へ越しました。文化勲章を授章した昭和29年に雪ノ下(現・鎌倉市鏑木清方記念美術館)へ移り、93歳で亡くなるまで活動を続けました。
今回は、「曲亭馬琴」をはじめ、震災で焼失した「女歌舞伎」の小下絵(東京国立近代美術館蔵)、帝展出品作「朝涼」(大正14年)や、「慶喜恭順」(昭和11年)など、政府が主催する官展に出品していた時代に描かれた作品を中心にご覧いただきます。