日本民藝館を創設して二年後の昭和13年に、念願かなって初めて沖縄を訪れた初代館長柳宗悦(その後、昭和15年にかけて三度訪問)が、その美しさに感銘を受けて中間とともに蒐集した織物の数々を提示いたします。
素材は絹、木綿をはじめ、涼しげな苧麻、そして中国渡りの透明感あふれる桐板(トンビャン)、柳が『芭蕉布物語』で紹介した芭蕉布など、実に豊かな広がりをもちます。それらが藍、紅、黄色にそめられ、様々な技法で織られました。
柳は沖縄から戻って間もなく、『工藝』100号(沖縄特集)に次のように書いています。「沖縄の織物で最も驚嘆すべきものは絣の類いです。続いては浮織の類なのです。絣は使用でまったく発達しなかった手法であって、東洋独自の織物として、世界に其の名が響くときは来るでしょう。そうして絣は特に日本がよく、其の日本の絣の中で最も見事なのは琉球のものです。特にあの色絣に至っては天下無類だと読んでいいのです。」
インドに源を発し、インドネシアなどを経由して沖縄いはいったという絣、中でも機の上で緯糸を少しずつずらしながら模様を創る手結(テイユイ)と呼ぶ技法は、沖縄独特のものです。絣は地域毎に特色あるものが作られました。首里では格子に絣を組み合わせた手縞(テイジマ)や木綿の紺地絣、八重山では苧麻の白地や色地の絣、宮古では苧麻の紺地や色地のものなどが織られています。
さらに中国に起源をもつといわれる紋織物があります。絹や木綿の花織(浮織)、上質の細い芭蕉で織った黄色や赤地の絽織、木綿の道屯織んどですが、なかでも「花倉織」と呼ぶ花織と絽織が一枚に織られた蜻蛉の羽のように透き通った藍染の衣裳は、日本で唯一点残るものです。また、読谷山の木綿花織と紅型を袷にした田舎綿衣(ワタジン)や花織りの手巾(ティサージ)も見逃せません。
柳たちが沖縄を訪ねた時、これら多くは流行おくれのものとされ、首里の士族の女性が営む古着市などで売られていました。数年の後、不幸にも沖縄は戦争で尊い人命とともに多くの文物も灰燼に帰しましたが、柳たちが持ち帰った優れた一群お織物は、かけがえのない宝物となって当館に保存されているのです。