2008年の企画展第1弾として美術家・椎木静寧(しいぎ しずね)による写真展「景色から」を開催いたします。椎木静寧は絵画を出発点に、写真、ヴィデオ、サウンド、インスタレーションなど多岐にわたるメディアを駆使し、自己の所在、そして他者との関わりを探求し続けるアーティストです。近年、特に写真を中心とした制作に取り組んでおり、2007年開催の「《写真》見えるもの/見えないもの」展(東京藝術大学大学美術館陳列館)にて発表された「明るい部屋」では、8x10インチ大判カメラを用い自宅室内を窓から差す日中の光で撮影し、日常のありのままの美しさや憂いさを見事に表現しました。本展「景色から」は、同じく8×10インチ大判カメラを用い、住まいの付近で撮影した風景写真シリーズ、「無題(秋ヶ瀬)」(2006-07)や最近作の「庭」「岸辺」(2007)などを展示します。ある現場へ繰り返し出向いて撮影する。そのシンプルな過程は、“もの”の捉え方が強調され、しかし過度であれば“もの”らしさを失ってしまう行為でもあるのです。「らしさ」を失った、ただ構成と色彩だけが残る風景写真。そこに宿る表現の臨界点とはいかなるものなのか。 弧の知覚 カメラの中では、レンズを通った光の像が(扇状に)弧を描いてフィルムへ到達している。故にフィルムの中心部と周辺部とには到達する光の強度の斑(むら)があり、同時に像に歪みが生じてしまう。絵画制作における筆のストロークも、肩や肘や手首を軸に筆先が弧を描いているので、筆圧などに斑が生じる。平面のものに対して、常に垂直な力点で且つ歪みの無い像を残すということは完全に行使され得ない。スキャナーやプリンターのような構造の場合、或いは支持体そのものが球面である場合はその矛盾を超えてしまえるのかも知れないが、しかしそれとここで言うところの平面世界とは直結し難い。何故なら、人の視覚は平面世界の構造に近いからである。人は両目で立体的に位置を読み取るが、しかし意識は平面的な理解をしている。更に、目や首を軸に上下左右に視界を動かすことで、つまりは弧を描くことで全体(情況)を理解している。私は、このような平面世界に潜む“弧の知覚”を呼びおこし、己がその目前に立っているのだと実感する装置として、写真を使っている。 椎木静寧