明治以降、日本では年を西暦ではなく皇紀という独自の数え方をしていました。皇紀(紀元)とは、初代の天皇である神武天皇が即位し、日本の国が建ったとされる紀元前660年を元年とする数え方です。1940年(昭和15年)は紀元2600年にあたることから、日本国中が祝賀にわきました。
土門拳は、1939年11月、「婦人公論」1940年新年号の特集企画「建国の聖地 日向」の仕事として、宮崎県(旧 日向の国)を訪れ、民俗芸能や風景を撮影しました。
高千穂神楽をはじめとする歴史ある民俗芸能の数々や神話の里ののびやかな風景は、若き土門拳にとって、とても魅力的な被写体でした。新婚旅行をかねて、たみ夫人を伴っての旅でしたが、当初1週間の予定だった撮影が、熱中のあまり、のびにのびて3週間に及んだため、「婦人公論」の編集部では困り果て、当時土門の所属していた国際文化振興会では、かんかんに怒ったというエピソードが残っています。