染織作家・柳悦孝(やなぎよしたか・1911-2003)は、民藝運動の提唱者・柳宗悦(やなぎむねよし)の甥にあたり、女子美術大学工芸科の草創期に中心的役割を果たした教員の一人です。
草創期の女子美工芸は「自らの手で美しい物を制作する楽しさと、それを使う歓び」を指針に、展示・即売の場として日本橋三越で「女子美染織工芸展」を開催し、また1970年の大阪万博では日本民藝館の展示運営に協力するなど、学生の「ものつくり」が社会とつながっていくことを意識した教育を行っていました。
このような中、手仕事を通して無から有を生み出すことに喜びを見出していた柳は、ただ学生に技術を教えるのではなく、「くり返し仕事をすることから、仕事を学ぶ」ことを説きました。そして学生の創作活動を支援すべく、自ら設計・制作した織機を与え、さらに長時間の作業でも疲れないよう一人一人の体型に合わせて織機を作り変えたといいます。
本展覧会は柳悦孝の初の回顧展となります。柳が制作した着物、帯、マフラーなどの作品、考案した織機に加え、芹沢銈介(せりざわけいすけ)、柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)、四本貴資(よつもとたかすけ)など女子美工芸草創期の教員作品、学生作品もご紹介します。展覧会を通して、創作活動から女子美工芸での教育に至るまで、柳悦孝が生涯貫き通した「ものつくり」の精神を伝えることができれば幸いに思います。
柳悦孝・略歴
1911年、千葉県に生まれる。1923年に関東大震災で父親が死去し、叔父・柳宗悦の家でしばらくの間過ごす。1929年に中学校を卒業してから、2年間片山牧羊のもとで日本画を学ぶ。1931年から染織の研究を始め、静岡の芹沢工房を訪ねたことを機に染織の道に進むことを決意。1932年11月には初めての染織展「第1回新興民芸展」を開催。
1949年に女子美術大学の専任教員となり、1975~83年には学長を勤めた。1983年に女子美を退職した後も、1986~90年沖縄県立芸術大学で教鞭をとる。2003年、92歳で逝去。