中村研一と琢二の二人は、ともに洋画家として卓越した才能を発揮、近代日本洋画壇の重鎮として活躍し、共に日本芸術院会員に推された稀な兄弟です。
二人とも官展系の展覧会を発表の場とし、画題にも共通するものが多く挙げられますが、生い立ちや性格の違いが自ずとそれぞれの画風に反映されており、兄弟同士でありながら、互いに異なる独特の個性を持った作品を遺しています。
兄、研一は1895年、福岡県に生まれ中学卒業まで宗像郡南郷村光岡(現・宗像市原町)で過ごします。福岡県立中学修猷館(現、福岡県立修猷館高等学校)に入学後、児島善三郎らと「パレット会」で活躍。20歳の時に美校受験が許可され上京し、東京美術学校(現、東京藝術大学)入学しますが、画家としての人生のスタートは在学中第8回帝展で初入選したことでした。大正12年、28歳になった研一はあこがれのパリに留学。当時流行していたモダニスムではなくレアリスムを学び確かな写実力を身に付けます。そのことが後の研一の画業に大きく影響し、帰国後は第9、10回帝展にて連続受賞。官展の審査員を勤め、戦時中は作戦記録画を制作し、常に画壇の一線で活躍しました。そんな華やかな経歴の一方で自ら個展を開くこともなく、絵も売ろうともせず、自らを律しどこまでもレアリストとして生きた研一は、観れば観るほどデッサン力と構成力の感じられる、謹厳な画風をつくりあげています。
弟の琢二は、主に人物と風景を多く画いていますが、絵を学び始めたのは30歳を過ぎてからでした。東大卒業後、病身で職もなくぶらぶらしている時にフランスから帰国した兄の勧めで安井曽太郎に師事し、琢二は着実に写実力を身につけていきます。しかし、師の影響を受けたタッチの作風は、一水会や新文展で入賞し注目を集めるにつれ、安井調であると批判を受けることにもなります。その後は、批判に応えようと細やかな筆致で写実的描写、明朗な色彩によって独自の画風を創りあげていきました。年を経るごとに鮮明な色彩を自在に駆使していった琢二は、爽快感を味わえる作品を数多く遺しています。
本展では、当館が所蔵する兄、研一の素描と油彩、宗像市が所蔵する弟、琢二の油彩、あわせて約55点を展示し、福岡県が誇る二人の洋画家兄弟の魅力を紹介します。