「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」
平安時代を代表する貴族藤原道長(966~1027)が寛仁二年に詠んだこの和歌は日本人に良く知られています。私たちが平安貴族の時代として想起するのはこの藤原道長の頃ということができるでしょう。道長は左大臣であった寛弘四年に自ら書写した紺紙金字の経巻を光り輝く金銅製の経筒に納め、大和吉野山のさらに奥、金峯山(現奈良県天川村山上ヶ岳)に登山して埋納しました。この寛弘四年は西暦に直すと1007年のこと。今年平成19年(2007)はそれからちょうど一千年目に当たります。
平安時代の貴族にとって御嶽詣(金峯山参詣)は大変重要な宗教行事のひとつであり、一生に一度は金峯山登山を志すものでした。元禄年間に山上ヶ岳から出土した金銅経筒(国宝)の表面には五百字余の願文が刻まれていて、道長が法華経や阿弥陀経・弥勒経などに込めた願いが詳しく説明されています。また道長直筆の日記「御堂関白記」(国宝)にも金峯山参詣の様子が日時を追って記録されています。山上ヶ岳からはこの道長の経筒以外にも豪華な経箱や蔵王権現の像や鏡像、様々な奉納品が出土しており「金峯山経塚」と呼ばれています。この道長の金峯山参詣と埋経が平安時代後期に日本各地で流行する経塚造営のさきがけとなった点で高く評価されています。
道長の時代は律令体制から中世への変換点にあたる歴史的に重要な時期とされています。また「枕草子」や「源氏物語」をはじめとする女流文学が開花した時代でもありました。さらに美術的・工芸的にも画期をなす時代でした。今回の展覧会では、道長の「御堂関白記」をはじめ藤原実資の「小右記」、藤原行成の「行成卿記(権記)」など同時代の貴族の日記類や、宋代の仏画・経典・陶磁器など同時代の中国のもの、浄土信仰と末法思想を表す仏画や経典、道長の時代の工芸品や仏像、金峯山経塚関係の遺物や京都周辺の経塚関係資料、道長が造営した浄妙寺や法成寺の跡から出土した瓦など、あわせて約140件を展示します。この展覧会を通じて藤原道長の極めた栄華と願った浄土の様相をご理解いただけたらと考えています。