萬鐵五郎(1885-1927)は、いうまでもなく日本近代の明治末─大正期を代表する画家です。当時のヨーロッパ絵画のめまぐるしい動向を日本に居ながら静かに見据え、それを東北人、ひいては日本人としての土着の感覚で独自の芸術にまで昇華した偉大な画家であることはよく知られています。
萬の作品は大きく3期に区分されます。東京美術学校の卒業制作≪裸体美人≫(東京国立近代美術館蔵)で提示されたフォーヴィスムの時期、つづく郷里の岩手県土沢に帰り夢中で描きためた作品群の中から醸成された≪もたれて立つ人≫(同)に代表されるキュビスムの時期、そして病気療養のため茅ヶ崎に転居した大正8年(1919)以降に顕著となる伝統的な「南画」に傾倒した時期の3期です。最後の「南画」とは、江戸時代の池大雅や蕪村、浦上玉堂などによって確立された日本的文人画の総称のことです。このような3つの時期の間においても、その枠にとらわれない彼の新たな絵画表現への挑戦は続けられました。今回の展観は、その作風の変遷を彼の若年時代からの心の成長、そして内的心境の変化とともに跡づけようという試みです。
展示される作品の総数は40数点をかぞえ、近年重要文化財に指定された≪裸体美人≫をはじめ、卒業後に仕送りを打ち切られ東京での生活の苦悩がにじみ出るかのような≪雲のある自画像≫(岩手県立美術館蔵)、土沢への帰郷時代の≪丘のみち≫(萬鉄五郎記念美術館蔵)や≪もたれて立つ人習作≫(岩手県立美術館蔵)、長く一般の目に触れることの少なかった≪松島屏風≫(個人蔵)、茅ヶ崎で晩年に描かれた≪少女(校服のとみ子)≫(岩手県立美術館蔵)などのほか、このほど新たに発見された作品も幾つか含まれます。
この度の企画展は、当美術館としてはまことに厳しい予算状況のなか、館員の総力をあげての事業です。萬は亡くなるまでの約8年間、茅ヶ崎市南湖の通称「天王山の木村別荘」に住み、みずからの制作と後輩たちの指導に打ち込んでいます。彼の絵が今なお多くの人びとに親しまれ愛されるのは、その革新的な画風とは裏腹な穏和な人柄と無縁ではないでしょう。今回の展覧会をとおして一人でも多くの市民の皆さんをはじめとする人びとに、「かつて茅ヶ崎には 萬鐵五郎という 偉大な画家がいた」ことを、実際の作品を眼で観て知っていただければと願ってやみません。